近年、企業の経営戦略を語る上で、「SX（サステナビリティ・トランスフォーメーション）」という言葉が急速に注目を集めています。SDGsやESGといった言葉と並び、企業の持続可能性を示す重要なキーワードとして認識されつつありますが、その正確な意味や、DX・GXといった他の「X」との違いを明確に理解している方は、まだ多くないかもしれません。

SXは、単なる環境配慮や社会貢献活動に留まるものではありません。これは、企業が社会全体の持続可能性と自社の持続可能性を一体のものとして捉え、長期的な視点で企業価値を高めていくための、経営のあり方そのものの変革を意味します。

この記事では、そんなSXの基本的な定義から重要性、企業がSXを推進するメリットや具体的な事例まで深く掘り下げて解説していきます。

SX（Sustainability Transformation）とは、企業が社会全体の持続可能性と、自社の持続的な成長を同期させ、それによって長期的な企業価値の向上を目指すための経営変革そのものです。目先の短期的な利益を追求するだけでなく、気候変動や人権問題、生物多様性の損失といった地球規模の社会課題の解決を、コストではなく新たな事業機会として捉え、企業の稼ぐ力と社会への貢献を両立させることを目的としています。

このSXという概念は、特に経済産業省が設置した研究会が2020年以降に公表した一連の報告書、通称「伊藤レポート」などで提唱され、日本企業の新しい経営のあり方として注目を集めるようになりました。企業が不確実性の高い時代においても持続的に成長していくためには、社会のサステナビリティに対する貢献が不可欠である、という考え方がその根底にあります。

SXの考え方の根底には、気候変動による自然災害の激甚化や、サプライチェーンにおける人権侵害問題、あるいは生物多様性の損失といった社会・環境課題が、もはや企業活動と無関係ではなく、将来的な収益機会や事業継続のリスクに直接的に結びついているという強い認識があります。

例えば、異常気象による原材料調達の不安定化や、人権問題への対応不足による企業ブランドの毀損などは、企業の財務パフォーマンスに直接的な影響を与えかねません。SXは、こうした社会課題を単なる外部要因として捉えるのではありません。自社の経営戦略の中心に据え、事業活動を通じてその解決に貢献することでリスクを低減し、同時に新たな成長機会を創出しようとする経営アプローチです。

SXという概念が日本で広く注目されるきっかけとなったのが、一橋大学の伊藤邦雄教授が座長を務めた経済産業省の研究会が公表した報告書、特に「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会 報告書 ～ 人材版伊藤レポート ～」（2020年）や、その続編となる「SX版伊藤レポート」（2022年）です。

これらの報告書は、日本企業が短期的な利益にとらわれず、長期的な視点での企業価値向上を実現するためには、ESGへの取り組みを経営戦略の中核に据え、それを支える人材戦略を強化することが不可欠であると説いています。

さらに、企業がこうした長期的な価値創造の取り組みについて、株主や投資家と建設的な対話を行い、相互理解を深めることの重要性も強調しています。伊藤レポートは、企業経営者だけでなく投資家に対しても、短期的な視点から脱却して企業の持続的な成長を支援する役割を求めており、日本の資本市場全体の変革を促す上で大きな影響を与えました。SXという言葉は、まさにこの伊藤レポートを通じて、日本独自の経営変革のキーワードとして広まったと言えます。

近年、企業の変革を表す言葉として、SXの他に「DX（デジタル・トランスフォーメーション）」や「GX（グリーン・トランスフォーメーション）」といった言葉も頻繁に使われます。これらはそれぞれ独立した概念ではなく、互いに深く関連し合い連携することで、企業の持続的な成長を実現するための重要な要素となります。

最も重要な点は、SXが企業の経営理念や目指すべき方向性といった最上位の概念であるのに対し、DXとGXはそのSXを実現するための強力な手段となるという関係性です。

DXは、デジタル技術を活用して、ビジネスモデルや業務プロセス、組織文化などを根本から変革することを指します。このDXは、SXという大きな目標を達成するための非常に有効な手段となります。

DXの例：

・サプライチェーン全体をデジタルで可視化し、トレーサビリティを確保することで、人権侵害や環境破壊のリスクを低減する。

・工場の生産プロセスにIoTやAIを導入してエネルギー効率を大幅に改善し、CO2排出量を削減する。

・オンライン診療プラットフォームを構築し、地域による医療格差を是正する。

このようにDXは、SXが目指す社会課題の解決や持続可能な事業モデルの構築を、具体的な技術によって実現するための手段として機能します。

GXは、2050年のカーボンニュートラル実現に向けて、化石燃料中心の経済・社会・産業構造を、再生可能エネルギーなどのクリーンエネルギー中心へと転換していく、経済社会システム全体の変革を指します。

このGXは、SXが包含する3つの要素（環境・社会・ガバナンス）のうち、特に環境の課題解決に特化した取り組みと位置づけることができます。GXの推進は、気候変動という地球規模の課題に対応するための企業の重要な責務であり、SXを実現するための重要な構成要素の一つです。GXへの取り組みなくして、企業のSX達成はあり得ません。

これら3つの「X」の関係性を整理すると、以下のようになります。

・SX（Sustainability Transformation）

企業経営の最上位概念。社会の持続可能性と自社の持続可能性を同期させ、長期的な企業価値向上を目指す経営変革そのもの。

・GX（Green Transformation）

SXの構成要素の一つ。特に環境（E）課題であるカーボンニュートラル実現に向けた、経済社会システム全体の変革。

・DX（Digital Transformation）

SXやGXという目標を達成するための強力な手段。デジタル技術を活用して、ビジネスモデルや業務プロセスを変革する取り組み。

このように、SXという大きな経営の傘の下にGXという重要な環境戦略があり、それら全ての変革活動をDXというデジタル技術が下支えし加速させる、という構造で理解すると分かりやすいでしょう。これらは対立する概念ではなく、三位一体となって推進されるべきものなのです。

企業がSX、すなわちサステナビリティを経営の中心に据えることは、もはや社会貢献活動といった任意の位置づけではなく、事業を継続して市場から評価され続けるための必須条件となりつつあります。その背景には、企業を取り巻く投資家や顧客、そして社会全体の価値観の大きな変化があります。

SX経営が求められる最も大きな推進力となっているのが、投資家の行動変化です。特に、世界中の年金基金や保険会社といった、長期的な視点で巨額の資産を運用する機関投資家を中心に、投資判断を行う際に、従来の売上や利益といった財務情報だけでなく、企業のESG（環境・社会・ガバナンス）への取り組みといった非財務情報を重視する動きが世界的に急速に広がっています。

その背景には、気候変動による事業への物理的な影響や、人権問題の発覚による企業ブランドの毀損、あるいはガバナンス不全による不祥事といったESG関連のリスクが、企業の長期的な収益性や持続可能性を大きく左右するという認識が浸透したことがあります。

今日では、ESGへの取り組みが不十分な企業は、投資家から「持続可能性に欠ける」と判断され、投資を引き揚げられたり、あるいは資金調達コストが上昇したりするリスクに直面しています。企業にとってSXへの取り組みは、長期的な資金調達の安定性を確保する上でも不可欠な要素となっているのです。

投資家だけでなく、製品やサービスを購入する消費者や、企業で働く従業員の価値観も大きく変化しています。

特にミレニアル世代やZ世代と呼ばれる若い世代を中心に、単に安価で高品質なだけでなく、その製品が環境に配慮して作られているか、あるいはその企業が倫理的な問題に関与していないかといった点を重視して購買を決定するエシカル消費の考え方が広まっています。企業のSXへの取り組み姿勢は、製品のブランドイメージや顧客からの支持に直接的な影響を与えるようになっています。

同様に、就職活動を行う学生や転職を考える労働者も、給与や福利厚生といった条件面だけでなく、その企業がどのような社会的な存在意義を持ち、社会課題の解決にどのように貢献しているかを企業選びの重要な基準とする傾向が強まっています。SXを経営の中心に据えてその活動を積極的に発信している企業は、優秀な人材にとって魅力的な職場と映り、人材獲得競争において優位に立つことができます。

また、従業員が自社の活動に誇りを持つことでエンゲージメントが高まり、離職率の低下や生産性の向上にも繋がることが期待されます。

私たちは今、気候変動の激甚化や地政学的なリスクの高まりなど、将来の予測が極めて困難ないわゆるVUCAの時代を生きています。

このような環境下においては、目先の利益だけを追求するのではなく、社会全体の持続可能性に貢献する事業モデルを持つ企業こそが、予期せぬ変化にもしなやかに対応できる「レジリエンス」を持つと評価されるようになっています。例えば、サプライチェーン全体で人権や環境への配慮を行っている企業は、将来的な規制強化や風評リスクに対して、より強固な体制を持っていると言えます。SX経営は、不確実な未来に対するリスクヘッジとしても機能するのです。

SXを推進することは、企業にとって単なるコスト増や負担増ではありません。むしろ、それを新たな成長機会と捉え、戦略的に取り組むことで、多くの重要なメリットを享受することができます。SXは、未来への投資なのです。

SXの視点を持つことで、これまで見過ごされてきた社会課題の中に、新たなビジネスチャンスを発見することができます。例えば、再生可能エネルギー関連技術の開発、食品ロス削減に貢献するサービスの提供、あるいは高齢化社会に対応したヘルスケア事業の展開など、社会課題の解決そのものを目的とした新しい製品やサービスを開発することで、新たな市場を創造し、事業の成長に繋げることが可能です。

サステナビリティを重視し、環境問題や社会課題の解決に真摯に取り組む企業姿勢は、投資家や顧客、地域社会といった多様なステークホルダーからの信頼と共感を高め、企業価値の向上に直接的に繋がります。「あの会社は社会のことを考えている良い会社だ」というポジティブなブランドイメージは、製品やサービスの競争力を高め、長期的な顧客基盤の構築に貢献します。

企業の社会的な存在意義が明確になり、その実現に向けたSXの取り組みが具体的に進められることで、そのビジョンに共感する優秀な人材を惹きつけることができます。特に、社会貢献意識の高い若い世代にとって、SXに積極的に取り組む企業は魅力的な就職先となります。

また、既存の従業員にとっても、自社の仕事が社会の役に立っているという実感は働きがいや会社への誇りを高め、エンゲージメントの向上に繋がります。これにより、従業員の定着率が高まり、組織全体の活性化が期待できます。

SX経営は、将来起こりうる様々な経営リスクに対する早期警戒システムとしても機能します。例えば、気候変動による物理的リスク（工場への浸水被害など）や移行リスク（炭素税導入によるコスト増など）、あるいはサプライチェーンにおける人権侵害による風評リスクや訴訟リスクなどを、事前に特定し、それに対する対応策を計画的に講じることができます。

これにより、予期せぬ事態が発生した場合の経営への影響を最小限に抑え、事業の継続性を高めることができます。

SXの推進は長期的な視点での取り組みであり、その過程ではいくつかの課題や注意点も存在します。これらを事前に認識し、対策を講じることが、SXを成功させる上で重要です。

SXへの投資、例えば再生可能エネルギー設備の導入や、サプライヤーへの労働環境改善支援などは、必ずしもすぐに短期的な収益向上に直結するわけではありません。むしろ、初期段階ではコスト増となるケースも少なくありません。

そのため、四半期ごとの業績など、短期的な利益を重視する株主や経営陣との間で、長期的な視点での投資の必要性について合意形成を図ることが難しい場合があります。SXの取り組みが長期的にどのような企業価値向上に繋がるのかを具体的に説明し、理解を得る努力が必要です。

実質的な取り組みが伴わないにもかかわらず、広報やPR活動だけを先行させてあたかも自社がサステナビリティに熱心に取り組んでいるかのように見せかける行為は、SXウォッシュやグリーンウォッシュと呼ばれ、近年、投資家や消費者、NGOなどから厳しい目が向けられています。

もしSXウォッシュと見なされれば、企業の評判は大きく傷つき、かえって企業価値を損なう結果になりかねません。SXを推進する際には、具体的な目標設定と実績に基づいた透明性の高い情報開示と、ステークホルダーとの誠実な対話が不可欠です。見せかけだけの取り組みは、逆効果になるリスクがあることを十分に認識する必要があります。

多くの先進的な企業が、自社の事業活動と社会課題の解決を結びつけ、具体的なSXを実践しています。

オムロンは、「事業を通じてよりよい社会づくりに貢献する」ことを企業理念の核に据え、SXを経営の中心に位置づけています。主力の制御機器事業においては、工場の自動化を通じて生産性を向上させ、人手不足の解消や働きがいの向上に貢献すると同時に、エネルギー効率の改善による省エネにも貢献しています。社会課題の解決そのものを事業機会と捉え、経済価値と社会価値の両立を追求しています

積水ハウスは、「『わが家』を世界一幸せな場所にする」というグローバルビジョンを掲げ、サステナビリティを経営の根幹としています。健康寿命の延伸や多様な家族のつながりを支援する「プラットフォームハウス」構想の推進や、サプライチェーン全体での人権デューデリジェンスの実施、そして事業活動における脱炭素化を高いレベルで推進しています。

世界的なタイヤメーカーであるブリヂストンは、単にタイヤを製造・販売するだけでなく、ソリューション事業への転換を図ることでSXを推進しています。例えば、タイヤにセンサーを取り付けて摩耗状態をリアルタイムで予測し、最適な交換時期を提案するソリューションサービスなどを提供しています。これにより、顧客である運送会社などの安全運行と、タイヤ交換頻度の最適化による資源生産性の向上に貢献し、サステナブルなビジネスモデルへの転換を目指しています。

日本政府も企業のSX推進を後押ししています。経済産業省と東京証券取引所は、2022年度から、SXに先進的に取り組み、長期的な視点で企業価値創造を実現していると評価される上場企業を「SX銘柄」として選定し、公表する取り組みを開始しました。

これは、企業のSXへの取り組みを促進するとともに、投資家に対して、長期的な価値創造が期待できる新たな投資基準を提供することを目的としています。SX銘柄に選定されることは、企業にとってSXへの取り組みが市場から高く評価されている証となり、企業価値の向上や投資家からの注目度向上に繋がることが期待されます。

本記事では、SX（サステナビリティ・トランスフォーメーション）の基本的な意味から、DX・GXとの関係性、そして企業が取り組むメリットや具体的な事例までを詳しく解説しました。

SXとは、社会の持続可能性と自社の持続可能性を同期させ、長期的な企業価値向上を目指す経営変革です。それは、ESGを重視する投資家や倫理的な消費を求める顧客、そして社会貢献意識の高い従業員といった、現代のステークホルダーからの要請に応えるために不可欠な取り組みとなりつつあります。

SXは、新たな事業機会の創出やリスク管理能力の強化といったメリットをもたらします。DXやGXといった他の変革活動と連携させながら、自社の事業を通じて社会課題の解決に貢献していくこと。それが、不確実性の高い時代において、企業が持続的に成長し、社会から必要とされ続けるための道筋と言えるでしょう。

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